2012年3月11日に思うこと。
季節は巡り、東日本大震災から1年になりました。
季節は巡り、今年も庭の桜は開花しました。
「原発いらない!3.11福岡集会」がまもなく開会され、参加者は九電本店までパレードをします。
それなのに、体調不良で参加を見合わせました。
とても残念!
いま政府は、放射能や汚染物質を大量に含んだ瓦礫を全国にばらまき、健康被害を全国民に拡散するという愚策を、「絆」を旗印に強引に進めています。
同意しない者は、非国民的扱い。
事あるごとに、絆、絆、絆.....
季節は巡り、自然の営みも繰り返されます。
が、これは自然に限ったことではないようです。
人の営みも繰り返されるようで...。
あの時は「絆」ではなく、「自己責任」。
当時、政府もマスコミが寄ってたかって、アフガニスタン人質とその家族を非国民扱いしました。
国とマスコミによる大掛かりなマインドコントロール。
当時は自民党政権でしたが、いまは民主党政権。
政権は変われども、いざという時に国民を守らない国という点では大差がないと思います。
当時、人質救出最優先の主張は総スカンでした。
いま瓦礫受け入れ反対の主張が総スカンという状況が作られています。
マインドコントロール。
これもたびたび繰り返されています。
要注意!
このたびの福島第一原発事故の直後から、心配ない、大丈夫、と国民を欺き続けてきた政府、マスコミです。
彼らが今回、瓦礫についていくら大丈夫と言ってみせても、空虚に響きます。
放射能による内部被曝やその他汚染物質による健康被害について、安全、安心だというお墨付きを、具体的、科学的な根拠にもとづいて示してください。
そうでなければ「大丈夫」なんて軽々しく言わないでください。
国は、放射能汚染の疑いがある食品の流通も無責任に放置して、今回、瓦礫についても曖昧なまま全国に拡散しようとしています。
これが、ほんとうに国民が求めている「絆」なんですか?
私は、「絆」にはならないと思っています。
むしろ「分断」だと...。
私にとって「絆」とは?
この国のすべての原発を止めること。
この国からすべての原発をなくすこと。
原発を推進したり、容認したり、黙認したりすることに異を唱えること。
そこでつながり続けていきたい。
それが、子どもや、孫や、その先の将来の人たちとも繋がっていくことができる「絆」だと思っています。
もうすぐ、黙祷の時刻です。